現代人の1日の情報量は江戸時代の〇〇分?

1日の情報量のサムネ

現代人は昔の人と比べて取得する情報量が大幅に増えています。インターネットがここまで普及する以前と比較できる方は思い出して頂きたいのですが、ここまで様々な情報に溢れてはいませんでした。これは主にインターネットやデジタル技術の普及によるものです。

目次

インターネット普及以前の状況

情報源としての本

昔の情報の入手手段は限られており、本や新聞、テレビ、ラジオなどが主な情報源でした。しかし、現代ではスマートフォンやパソコンを通じてインターネットにアクセスすることが容易になり、世界中の情報に瞬時にアクセスできるようになりました。さらに、ソーシャルメディアやオンラインニュースサイトなどの登場により、一層情報の多様性も高まりました。人々はニュース、エンターテイメント、スポーツ、健康、教育など、さまざまな分野の情報を取得しています。

江戸時代の1年分に匹敵する情報量

明治時代以前は情報の入手手段が限られており、主に口伝や書物によって伝えられました。その伝達には時間がかかり、地理的な制約もありました。

ここで面白い記事を紹介します。

現代の1日の情報量は江戸時代の1年分!? 大量の情報に溺れないための「考える練習」というタイトルの記事です。この記事では江戸時代だけでなく、平安時代の一生分とも書かれてあります。わずか数百年の間に私たちに流入してくる、あるいは取得する情報は莫大に膨れ上がりました。それは良い面もありますが、その一方で弊害が生まれることにも繋がります。

情報量が増えたことによる弊害

フェイクニュースのイメージ

現代ではリアルタイム性が求められることも増え、速報性が重視されています。ニュースやトピックはインターネット上で瞬時に拡散され、更新が頻繁に行われます。また、多様なメディアが存在し、個々の人々が自身の意見や情報を発信することができるため、多様性も高まりました。しかし、情報量が増えた一方で、その信頼性や質の保証は難しくなっています。その正確性や信頼性を判断する能力が求められる一方で、フェイクニュース等の拡散も懸念されています。

まとめ

現代人は情報のフィルタリングや適切な情報の選択が求められるため、リテラシーの重要性が高まっています。信頼性を判断し、自分自身の知識や意識を広げるために、批判的な思考や検証能力が必要です。

身近に溢れている情報の1つ1つを精査することは難しいことではありますが、全てを鵜呑みにしないことは必要です。それが新聞やテレビであっても同様です。なぜなら、それらを発信しているのは人間であり、人間は必ずミスをする生き物だからです。それが意図的であれ、そうでなかったとしても、物事は1つの側面から見たら正しいことでも、別の側面から見たときに正しくないということは往々にしてあるからです。大切なのは、自分の意見を持つことです。情報の波に飲まれ、全てを受動的に受け入れるのではなく、考えるクセを身につけることを心掛けるようにしましょう。

それでは今回はここまでです。

また別の記事でお会いしましょう。

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この記事を書いた人

銀行員時代に支店長に言われた「何でもできる奴は何もできない奴」を絵に描いたような性格。知財検定、危険物、電気工事士などの資格を取得し、料理、カメラ、ブログ作成、動画編集と、思い立ったものは何でも趣味でやっています(笑)

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